最優秀賞

一旦中身を削除して打ち直す
奨励賞





入選 (50音順)















ふろふきだいこんからはじめて、たべもののとくちょうを、そのありようやたべるときの音であらわしている。よくそのたべもののとくちょうが、自分なりにくふうされている。
自然に溢れる涙 近藤 里咲
(見附市立西中学校1年)
涙の雫が頬を伝い
心の奥深く、痛みが広がる
言葉にできない想いが
静かに、静かに溢れ出す
夜空に星が眩しいように
心の中の悲しみ
一瞬の美しさを持って
暗闇に光を灯す
泣くことは弱さではなく
心の声を解き放つこと
悲しみを抱きしめて
新たな明日を迎えるために
涙は流れ、心は癒され
過去の傷が少しずつ癒される
泣いた分だけ、強くなれる
明日を迎えるため
涙は流れ、心は癒され
過去の傷が少しずつ癒される
明日への希望を胸に抱いて・・・

悲しいから涙がこぼれる、というのは単純すぎる、と作者は言いたいのだ。うれしい涙も美しい涙もある。「泣いた分だけ、強くなれる」ことが大切。涙をこぼすことを否定しない。
雨の日の教室から 齋藤 姫衣
(鶴岡市立櫛引中学校1年)
雨の日に教室から見える月山
山のてっぺんだけをだし雲におおわれている
まるで白い布団から顔をだして
授業をのぞいているようだ
まるで白い洋服を着こなしているようだ

「月山」は山形県の山岳。雨の日にも月山は授業をのぞいているのだ、「白い布団から顔をだすようにして」。やさしそうでも、きびしい表情でのぞいていることを忘れないでね。
「自然」 佐久間 煌
(鶴岡市立櫛引中学校1年)
木々がゆらゆらと踊っている
風と草の音色に合わせて踊る
森に入るといつも思う
木々は踊り子 草と風は楽器
そして私は森の指揮者

木々が「踊っている」というのは愉快。ただゆれているというのは、人間の勝手な見方でもある。自然はそうやって、踊ったり音色に合わせたりしている、と作者はよく見ている。
瞳を開けば 佐藤 拓実
(川崎市立西中原中学校3年)
瞳を開けば何かが始まる
私達の楽しい学校生活が
私達の明るい一日が
朝の眩しい光が目に差し込んで
何かが始まる
瞳を開けば何かが見える
あなた達の明るい顔が
あなた達の楽しむ様子が
昼の太陽が私達を照らすことで
何かが見える
瞳を開けば何かが終わる
私達の楽しい部活が
今日の学校生活が
夕日が私達を優しく包むことで
何かが終わる
私達の人生は
瞳を開いたその一瞬の積み重ね
一コマ一コマ
アニメのように
ずっと変わって動いている
毎日同じ一日の繰り返し
そんなことがあるのだろうか
全く同じ一コマなどない
今見ているその一コマは
この世にたった一つしかないもの
一瞬の一コマを大切にしよう
その一コマに新しい世界が広がる
私達それぞれ別の世界が広がる
だから
瞳を開ければ世界が広がる

瞳を開くことで、たしかに「何かが始ま」り「終わる」のだ。見えたり終わったりが展開する。開かないことには何も始まらない。その積みかさね。一コマ一コマこそ大切なのだ。
卓球 白石 結楠
(春日部市立大沼中学校1年)
赤い面と黒い面
人によっては青や緑も
ラバーにだってその人の個性が出る
選手は様々な技をくり広げる
技にだってその人の個性が出る
狩りのようにピンポン玉を逃さない
背が高いか低いかなんて関係ない
運動が得意か苦手かなんて関係ない
それぞれ自分の個性を活かして戦うスポーツ
やればやるほど奥が深いスポーツ
負ければ負けるほど強くなるスポーツ
喜びや悲しみを感じられるスポーツ
感動し躍動できるスポーツ
今日もどこかでピンポン玉がはずんでいる
光のような速度で

ラケットのラバーの色にも技にも、その人の個性が出る。個性を出して相手と真剣に戦う。奥の深いスポーツであり、感動し躍動できるスポーツ。今日もはずんでいるピンポン玉。
星の世界 杉本 愛莉
(新潟市立新潟東中学校1年)
星だって人間のように世界がある。
星の世界は空の上。
それはみんなの国の空の上
その空はとてもきれいで
人が上を向くと星たちはかがやく
星たちだって学校に行く
人々は朝に学校がはじまるけど星たちの学校は夜にはじまる
授業だってちがう
人は数学や国語は学ぶ
星はきれいにひかる方法は学ぶ
星だって人間のように世界がある

星にも世界があり、その下に人はいるのだけれど、学校もある。星たちの学校は夜にはじまる。人とちがって、星たちは「きれいにひかる方法」を学ぶ。そのちがいが興味深い。
太陽は人をみている 鈴木 詩歩梨
(見附市立名木野小学校6年)
太陽は人を見ている
人があそんでいても
太陽は空でわくわくしながら
見ている
太陽は人をみている
人が勉強していても
太陽は空でしずかに
見ている
太陽は人をみている
人がねていても
太陽は空でにこにこ
見ている
太陽は人をみている
人がころんでいても
太陽は空で泣きながら
見ている
太陽は人をみている
いつも人から
わくわくやはらはらをもらって
太陽は空で元気になって
見ている

人があそんでいても勉強していても、いつも太陽は人を空から見ている。つまり人はどうやっていても、元気な太陽につねに見られているのだ。無関係ではないことを認識しよう。
兄ずるい 髙橋 京雅
(見附市立名木野小学校6年)
兄ずるい
兄中学通ってずるい
中学だから自由登校だし
部活もある 兄いいな
兄ずるい
兄スマホ持ってずるい
スマホで友達と連絡するし
動画も見るし、兄いいな
ああ兄ずるいずるすぎる
兄友達沢山いてずるい
男子はもちろんいるけど
女子が沢山いる、兄いいな

兄さんは、当たり前のことをやっているだけで、「ずるい」ことをやっているわけではない。それを弟である作者は知らぬわけではない。「いいな」に変わる兄への羨望まる出し。
あいさつ 髙橋 優衣
(川越市立山田中学校1年)
おはようから始まる朝。それは、朝が始まる合図ともいえる。そのあいさつがあることで、朝のスタートがきれる。おはようがなかったら、朝のスタートは始まらない。人は皆そのあいさつから走り、おやすみで1日のおわり、ゴールともいえる。おはようはまるで徒競走や長距離走のようだ。今日も新しい一日のスタートのあいさつが鳴りひびいている

「おはよう」は朝の挨拶であり、一日のスタートを意味する大切な挨拶。すべてはそこから始まる。一日の終わりを意味する「おやすみ」はゴールである。挨拶は人間関係のけじめ。
手紙 冨沢 明希
(十日町市立中条中学校1年)
手紙は人と人が
つながり合える
一つの方法だ
人は読んでいると
書いた人の気持ちが
だんだんと
伝わってくる
悲しい気持ちで書いたか
嬉しい気持ちで書いたか
気持ちだけでなく
書いた人の表情も見えてくる
ほんの小さな一つの手紙でも
だんだんと
気持ちが伝わってくる
そして手紙は手書きだからこそ
伝わる気持ちがある
いつもどこかで手紙は
人と人をつないでいる

人と人をつなぐ手紙。そのかたちがどんどん変わってくる現今。書く人の気持ちも表情もわかるのが手紙。そのことに思いいたっている第二連が重要。手書きだから伝わる気持ち。
「争いと平和」 中村 隼輔
(長崎県立諫早東特別支援学校中学部3年)
なぜ、人間は争うのだろうか。
争って何んの価値があるのだろうか。
政治の争いや戦争をしているうちに色んな政策ができると言うのに、どうしてそこまで一つのことに集中してしまうのだろうか。
僕は、戦争や政治の争いをテレビの前でしか見たことがないけど本当にみんな戦争に行きたいのか、本当に恐ろしい兵器にお金を使っていいのか。
僕なら環境を良くするために木を植えたり、家のない人のために家を建てたりみんなが嬉しくなるようなことにお金を使いたい。
みんなが何のために生まれてきたのか、戦うために生まれてきたのではなく誰もが色んな人と楽しく遊んだり喋ったり幸せな人生を過ごせるように生まれてきているのに。
みんながみんな色々な才能を持って生まれてきているのに。
その才能を使わずに兵器や人の悪口をいって蹴落としているのを見てなぜ、そこまでして勝ちたいのか傷つけたいのかを知りたい。
そして、みんなにはそれを乗りこえる力やそれに勝つ力でもし負けてもくじけずに前に進むことができる事を私は知っている。

争いと平和、それは人類始まって以来の大テーマである。いろいろな意見があろうけれど、作者は正面から向き合っている。事情もちがって簡単でないけれど、問いつづけなければ。
クラスメイト 中村 周音
(春日部市立大沼中学校1年)
私のクラスメイトは色とりどりだ
ひまわりのように明るい
すずらんのように可愛らしい
たんぽぽのように強くて憧れる
バラのようにかっこいい
シロツメクサのように大人しい
しょうぶのようにクール
一人一人個性があって鮮やかだ
みんな違ってみんないい
たくさん集まって一つの花束になる
そして一つのクラスを作ってゆく
色とりどりのクラスメイトに出会えて私は幸せで暖かい気持ちだ
この色鮮やかなクラスがずっと続いていきますように

クラスメイトにもとりどりあって、花のように一人一人のちがう個性が合わさって、「一つの花束」「一つのクラス」をつくるということ。色鮮やかな一つの花束になることが肝腎。
ちゅうとはんぱ 野田 惺
(大阪府立中央聴覚支援学校高等部1年)
小3のときに難聴が分かった
今思えば大変だった
耳からの情報を必死に追う日々
家につけば充電が切れたみたいに動けなかった
ざわざわした中での会話は聞えなくて
「もう一回言って」の壁は高い
めんどくさいと思われるのが怖くて
分かったフリをするのが癖になってた
中2でろう学校に転校した
何一つ聞きのがすことがなく
授業は完璧に分かる
デジベルを言うと
「あなたは軽くていいわね」
少し距離を取られる
口話でずっと育ってきた私
コミュニケーションは手話が中心の
ろう学校では当たり前に手話を求められる
プレッシャーで押し潰されそうになった
ろう学校でも聴者の中でも中途半端な私
どの枠にも入りきれないコドク感
行き場のないこの気持ち
広い世界の中で私だけ?
こんな気持ちは私だけ?
「これから私はどう生きていこう?」
漠然とした不安で息が詰まりそうになった
「置かれたところで咲いてみる」
そう思えたとき
自分がどれだけ恵まれていたか気付いた
中途半端のおかげでたくさんの人に
出会って、支えられて
苦労のかたちは違うけど
みんな何かを抱えてる
あの日の涙もどん底も
私が歩いてきたしるし
だから
この気持ちもこのままで
わたしのままで

小3のとき、難聴であることがわかって苦労した。中2のときにろう学校に転校して「授業が完璧に分かる」ようになったけれど、中途半端な孤独感。不安。苦労は別でも、頑張れ私!
扉 橋壁 奈歩
(栃木県立盲学校高等部1年)
鍵をかけてた 心の扉
一人 振り回されて
心は 行ったり来たり 波のよう
まわりは みんな 優秀で
わたしには 価値がないって 傷ついて
気づけば 自分を 見失ってた
だけど 夢に出会ったとき
なぜか 扉が 勝手に開いたんだ
あれやりたい これやりたい
まずは 何から始めようか
理想に 近づこうとしてる
私って まじ最高
さあ 扉 壊しちゃおう
優しいだけの 自分じゃなくていいから
もう 鍵を掛けなくて いいんだよ

心の扉に鍵をかける必要はないことに、傷ついて自分を失っていたときに気がついた。「扉を壊せ」「鍵を 掛けなくて いいんだ」とわかる。鍵を掛けることで自分を閉ざすことも。
日常 濵田 茉祐
(成田市立中台中学校3年)
眠たい登校
わからない勉強
疲れる部活
ゆううつな気持ちで起きる朝
重い足取りで歩く通学路
でも、それでも、帰り道には太陽のように輝く笑顔がある
学校が終わったから?
家に帰ってゆっくりできるから?
いや違う、きっと苦しく思える日常にちょっとした楽しみがあったから
友達とお腹の底から笑う休み時間
メラメラ燃える給食ジャンケン
くだらないおふざけ
でもその楽しさも私はすぐに忘れてしまう
そしてまた
ゆううつな気持ちで朝起きてしまう
こんな日常も幸せなのだろうか
そう思うと私はいつもより少しだけ軽い足取りで歩いていた

ゆううつな朝。学校へ行くと帰るとでは、気持ちがちがうのは仕方ないか。逆の場合もある。学校では縛られることも多いけど、友だちに会って楽しいこともある。また朝起きてしまう。
空 山田 優花
(十日町市立中条中学校1年)
空はいつも私たちを見ている
青く晴々とした明るい笑みをうかべたり
雲だらけの薄暗い表情をしていたり
まっくらな顔で大粒の涙を流したり
そんな人間らしい一面もあれば
星のドレスを身にまとっていたり
月のバッジを付けている事もある
いろいろな表情や
いろいろな姿をした君がいるけれど
今日の君は
どんな顔?どんな姿?

空はいろいろな表情でみんなを見ている。「星のドレス」や「月のバッジ」と捉えたのはおもしろい。そう感じることもある。自分たちもいろいろだけれど、空もいろいろなのだ。
スリーポイントシュート 山中 ルーカス
(前橋市立箱田中学校1年)
試合の中
ボールが回ってきた
誰も邪魔してこない
敵の動きがゆっくりだ
気づいた
これはゾーンに入っている
そしてボールをしっかり持った
そして左手を添える
全身に力を入れ
スリーポイントラインに立った
誰も追いつけない
誰も止められない
誰も邪魔出来ない
そしてボールを放った
その動きは
クジラが海面上に躍り上がったように
宙を舞う
会場が静かになった
宙を舞ったボールを見つめる
パサットンットントン
微かな音が鳴り響く
その先を見た
リングのネットが揺れていた
ビーッパチパチパチ
試合終了のブザーと共に
拍手が鳴り響いていた
仲間たちと観客が喜ぶ
そして
気づいた
試合に勝った

バスケットの試合の動きがスムーズにとらえられている。しかもリアルなスピード感を持って、晴々と描写されている。最後に試合に勝ったのだから、そうなのだ。おめでとう!
第31回矢沢宰賞の審査を終えて
今年の夏の猛暑は、みなさんも経験されたことでしょう。「異常気象」のせいでしょうか。
それにもかかわらず、みなさんからたくさんの詩の応募があったことはうれしい限りです。暑さにめげず元気だったり、悩んでいたりしても、若者らしく前向きです。それが大切なことだと思います。コロナ禍のために三年連続で授賞式「矢沢宰 生命の詩の集い」は中止になりましたけれど、昨年から再開されています。うれしいですね。
世の中には「常識」とか「通念」というものがあります。それももちろん大事ですが、それにばかりとらわれていては、自分の世界を固くちっぽけなものにしてしまいます。周囲にいろいろな言葉が溢れていますが、自分の言葉や捉え方をもつことが最も重要です。この賞はそのためにもあるのです。
会場で入選者のみなさんと初めてお会いして、その作品を思い浮かべるときが、選者である私にはとてもスリリングな瞬間なのです。「この人があの詩を書いたのか!」と。今年も授賞式に、私は体調が悪くて出席できませんけれど、作品に付した選評をくりかえし読んでください。何度も読み返して、選評はみなさんが詩を書くときのエネルギーに負けていないつもりです。自分の時間は少しずつ増えてくるでしょう。時間を作って詩作にも挑みましょう。
すべての作品に目を通して、最終的にご覧のようにしぼりました。入選の喜びをふくらませ、また選にもれた悔しさを倍のエネルギーにして、今回だけでなく詩を愛して書きつづけましょう。
- 審査員 八木 忠栄
1941年見附市生まれ。日大芸術学部卒。
「現代詩手帳」編集長、銀座セゾン劇場総支配人を歴任。
現在、個人誌「いちばん寒い場所」主宰。日本現代詩人会理事。青山女子短大講師。
詩集「きんにくの唄」「八木忠栄詩集」「雲の縁側」(現代詩花椿賞)他多数、エッセイ集「詩人漂流ノート」「落語新時代」他、句集「雪やまず」「身体論」(吟遊俳句賞)。
年ごとの入賞作品のご紹介
回 | 最優秀賞受賞者 | タイトル |
---|---|---|
第1回(平成6年) | 山本 妙 | 本当のこと |
第2回(平成7年) | 山本 妙 | 災害 |
第3回(平成8年) | 高橋 美智子 | 小さな翼をこの空へ |
第4回(平成9年) | 野尻 由依 | 大すきなふくばあ |
第5回(平成10年) | 佐藤 夏希 | お日さまの一日 |
第6回(平成11年) | 除村美智代 | 大きなもの |
第7回(平成12年) | 徳田 健 | ありがとう |
第8回(平成13年) | 井上 朝子 | おくりもの |
第9回(平成14年) | 藪田 みゆき | 今日は一生に一回だけ |
第10回(平成15年) | 日沖 七瀬 | 韓国地下鉄放火事件の悲劇 |
第11回(平成16年) | 佐藤 ななせ | 抱きしめる |
第12回(平成17年) | 髙島 健祐 | えんぴつとけしゴム |
第13回(平成18年) | 濱野 沙苗 | 机の中に |
第14回(平成19年) | 田村 美咲 | おーい!たいようくーん |
第15回(平成20年) | 高橋 菜美 | 空唄 |
第16回(平成21年) | 今津 翼 | 冬景色 |
第17回(平成22年) | 西田 麻里 | 命に感謝 |
第18回(平成23年) | 山谷 圭祐 | 木 |
第19回(平成24年) | 坂井 真唯 | クレヨン |
第20回(平成25年) | 宮嶋和佳奈 | 広い海 |
第21回(平成26年) | 金田一 晴華 | 心樹 |
第22回(平成27年) | 安藤 絵美 | 拝啓 お母さん |
第23回(平成28年) | 宮下 月希 | 大好きな音 |
第24回(平成29年) | 宮下 月希 | 心のトビラ |
第25回(平成30年) | 阿部 圭佑 | ものさし |
第26回(令和元年) | 上田 士稀 | 何かのかけら |
第27回(令和2年) | 宮下 音奏 | 大好きな声 |
第28回(令和3年) | 横田 惇平 | ふくきたる夏休み |
第29回(令和4年) | 野田 惺 | やっと言えた |
第30回(令和5年) | 舘野 絢香 | 気持ちをカタチに 思いを届ける |
第31回(令和6年) | 青栁 雄大 | 黒板 |