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見附が生んだ命の詩人 矢沢宰
矢沢宰(やざわおさむ)の世界へようこそ

矢沢宰に興味を持っていただきありがとうございます。
今日は、2024年11月21日 です。

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地名や職業名など、昭和30年代当時のものが使用されています。
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病気の内容がわかりやすいよう、病名には医療情報へのリンクを設定しています。

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矢沢 宰(やざわ おさむ)はどんな人・・・?

矢沢宰
矢沢宰

略歴

昭和19年5月7日中国江蘇省で生まれ、父の現地召集で母と故郷の古志郡上北谷村河野に引き揚げてきた。
上北谷小学校2年生のとき腎結核が発病し、右腎を摘出。
その後療養生活を繰り返し、1年遅れて上北谷小学校を卒業。
卒業生を代表して答辞を読むが、その後激しい血尿に倒れ、直ちに新潟県立三条結核病院小児科に入院。絶対安静の日が続く。

病室で詩を書く矢沢宰
病室で詩を書く矢沢宰

詩や日記は入院後の14歳の秋から書き始めた。
昭和36年5月から病院付属の三条養護学校中学部に通い始め、翌年3年に特進。
2年間で中学部を卒業する。

同時に三条結核病院も退院し、5年ぶりに実家に帰る。
昭和38年県立栃尾高校に入学。文芸部に入る。

栃尾高校文芸部時代の詩集


順調な学校生活を送るが、高校2年生の2月腎結核が再発。
三条結核病院に再入院する。

そして、昭和41年3月11日、劇症肝炎を発症し、21歳の若さで没した。

矢沢宰について書き込まれたWikipedia

出生から逝去まで

  • 出生
    1944年(昭和19年)5月7日

    中国江蘇省東海県海州新大街5号「海洲鉱業開発」の社宅でに父矢沢元、母レウの長男として生まれる。“宰”の名は、親しくしていた中国人、呉 顕頭(う しんとう)という人がつけた。

    1945年(昭和20年)7月31日
    父の現地召集で、母と一緒に父の実家の新潟県古志郡上北谷村河野7番地(現在の見附市河野町)に帰り着く。

    本人が描いた自宅のスケッチ

    1945年(昭和20年)8月15日
    終戦

  • 小中学校時代
    1951年(昭和26年)4月

    上北谷村立上北谷小学校入学

    1952年(昭和27年)12月
    小学2年生の年の暮、友達と学校の裏山へ行き、雪を赤く染めた血尿で発病に気づき、腎結核と診断される。

    1953年(昭和28年)4月
    新潟大学病院泌尿器科で右腎摘出手術を受ける。手術を受ける前に「これが最後かも知れない」と祖父と記念写真を撮ってもらう。

    1957年(昭和32年)12月
    残った左の腎臓にも結核発病。

    1958年(昭和33年)3月
    一年遅れて見附市立上北谷小学校を卒業。

    1958年(昭和33年)3月27日
    新潟県立三条結核病院小児科へ入院。血尿強度で輸血と止血剤の連用、安静を強いられる。初め俳句を読んでいたが、立川看護婦にもらった詩集が作詩の動機となる。

    1958年(昭和33年)11月3日
    初めて「日記」を書き始める。

    1958年(昭和33年)12月24日
    イギリス人の宣教師の訪問により、初めてキリスト教に接する。

    1959年(昭和34年)3月13日
    父が肺結核を再発、手術を受ける。

    1959年(昭和34年)5月
    詩集「それでも」を編む。

    自作詩集「それでも」

    1959年(昭和34年)10月
    中原中也の詩に感動。聖書や芥川全集を読む。敬虔なキリストの信者を志し、詩作深まる。

    1960年(昭和35年)6月
    入院以来の絶対安静で鏡を手に空や雲を映す生活。2年3ヶ月ぶりに自分の両足で20メートルほど歩く。

    1960年(昭和35年)8月
    詩集「詩の散歩」を自装でつくる。

    1960年(昭和35年)10月
    2年弱で作詩200編に達す。この年、NHK新潟ローカル、ラジオ新潟、「新詩人」などに詩をしばしば投稿、その幾編かが入選。

    1961年(昭和36年)4月
    病状が著しく改善し、新潟県立三条養護学校(三条結核病院に付設)中学部1年に入学。

    1961年(昭和36年)5月
    4年数か月ぶりで入浴。

    1962年(昭和37年)1月
    祖父の死。

    1963年(昭和37)4月
    養護学校中学部3年に特進。

    1963年(昭和38年)3月20日
    養護学校中学部を卒業。卒業式では答辞を読む。退院して5年ぶりに見附市の実家に帰る。

  • 高校時代
    1963年(昭和38年)4月

    新潟県立栃尾高校へ進学。実家から通学。文芸部に入る。

    1963年(昭和38年)11月
    憧れていた柏崎市の海へ行く。

    1964年(昭和39年)3月
    初めて単身上京。

    1964年(昭和39年)8月
    父が病気再発。大学進学の問題にも悩む。

    1964年(昭和39年)12月
    アルバイト(栃尾市【現在の長岡市栃尾地区】で輸出品のカードの穴あけ)をする。

    1965年(昭和40年)2月
    高校2年の時、腎結核再発。

    1965年(昭和40年)3月1日
    三条結核病院内科に再び入院。

    1966年(昭和41年)3月11日
    高校復学を夢見る矢先、劇症肝炎を発症午前2時15分永眠。享年21歳。

矢沢宰の詩を後世に残します

矢沢宰の直筆ノートが、見附市立図書館に保管されています。

当時、本人が書いたノート

↓↓↓

矢沢宰の詩が、詩碑になりました。見附市の大平森林公園に設置されています。

大平森林公園にある詩碑
詩碑「少年」

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