最優秀賞 ポプラ賞
何かのかけら 上田 士稀 あなたは何のかけらを持っていますか? 人それぞれ色んな形のかけらがあると思います。 人は、そのかけらを自分に合う人とつながる時があります。 色んな形で色んな形で色んな個性があります。 話が会ったり、友達になったり、色んな形ではまります。 この世界が大きなパズルなら人はピースです。 色んな形があると思います。 変な形だったり、きれいな形だったり、色んなピースがあります。 時にはそのピースをピースが壊してしまうこともあります。 その度にパズルの完成は難しくなります。 また、時にはピースとピースが、とても上手い形ではまれば、いい形になっていくこともあります。 人はそれを友情と呼びます。 そのたくさんあるピースが、全部集まって、そのパズルが完成した時、人はそれを「世界平和」と言うのでしょう。
中学2年生で「かけら」という発想が出てきたことに、まず驚きました。
人間社会を「パズル」と見なせば、確かに「人それぞれに色んな形のかけら」を持っていることになる。
そうとらえたところに、この詩のおもしろさと奥深さが生まれたと言えます。
変な形だったり、きれいだったり、それぞれがどんな形なのか、作者にも想像がつかないし、ピースがピースを壊してしまうこともあり、パズルが完成しないこともわかっている。
それを最後に「友情」とか「世界平和」につなぐところはみごと。
奨励賞 ポプラ賞
雑 音 小杉 実乃里 放課後の廊下は音であふれている たったったっ グラウンドを走る音 とーんとーん ボールが転がる音 窓ごしにきこえる 音 おと オト むこうの教室からは はじけるような 笑い声 くすくす けらけら わっはっは 音楽室では 様々な音が混ざりあう キラキラした音 甘い音 トゲのある音 いろんな音が じゃれあいながらからみあっていく 私をとりかこむ音 そっと耳をすませると 一つの音楽にきこえてくる そっと声を出してみると あなたの声と重なって 和音ができた 今日も世界は 音であふれている
放課後、授業中など、学校はいつもさまざまな音にあふれている。作者は放課後の音に耳をすませています。
廊下でもグラウンドでも、もちろん音楽室でもさまざまな音があふれています。
他の人はうっかりしていたかもしれないのに、作者は耳をすませてとらえています。
最後の七行こそ詩で言いたかったこと。
エール 〜自分への問いかけ〜 宮下 月希 何のために夢はある? 希望、溢れる未来のため? 冒険しながら迷う道のりは 遠回りしたっていい 迷ったっていい 立ち止まらずに走り続けよう もし、 何もせず、時間だけにただ流されたら 一体何の意味があるだろう 一度きりの人生は戻れない 道を後悔しないように生きていこう 泣きながら生まれ、誰かと巡り合い 迷いながら歩く道 信じた道の彼方に果てしない空と希望が 待っている。 自分は自分に嘘をつかない 胸の奥に燃え上がる私の夢は、はるか彼方のゴールに答えがある。 自分の気持ちに問いかけよう この道で良いのかと。 夢を抱いた時、希望と共に痛みがあることも、心の中に止めておこう。 涙が光る道もある。 傷つくのは弱さじゃない。 成長なのだ 時は止まれない。 未来はいくつもの道がある。 不安だらけの道に立ったって答えは 自分の中だけにある。 不確かな孤独の旅だけど 夢に向かって羽ばたこう 時間は二度と戻らない。だから 立ち止まってはいられない 悩んだって始まらない。 走ろう冒険の先の明日へ 行こうたった一人の未来の旅路へ。
今後の進み方、生き方などに悩んでいます。あわてて結論を出さずに、あれこれ大いに悩むべきでしょう。
わかりかけていることにも、大いに悩むのがいいでしょう。でも、あまり理屈優先で考えないこと。
詩は理屈も入りこみますが、優先してはつまらなくなってしまいます。
一人であっても先へ進むことが大切。
電車に乗って 深谷 治基 今日初めて一人で 電車に乗った 一人で切符を買った 緊張しなかった 駅員さんに切符を見せて ホームに行った 四番線 行き先を確認して 電車に乗った 自分一人で乗った びっくりした 人がたくさんいた 学生もいた 同じ学校の二年生の仲間もいた ぼくは立って窓の外を見ていた 知ってる場所も見えた バスとスピードが違う ちょっと緊張してた 降りる駅に着いた 切符を駅員さんにわたして 外に出た 完ぺきでした。
初めて一人で電車に乗って出かけた、そのことをそのまま書いています。
駅員さんや他の人たちにもサポートされながら、目的地の駅に降り立った喜び。その達成感が生き生きと述べられている。
電車の中から見る外の景色もふだんと違うでしょう。「完ぺきでした。」という最後の一行に充実感がこめられている。
怒り 緑川 侑那 あぁ、なんだろう この気の強い男のような気持ち 頭が火山のように 噴火しそうだ 何をすればこの気持ちを抑えることが できるのか もうすぐで我慢の限界だ 我慢の限界を越してしまったら 私は、 誰かをなぐってしまうかもしれない 物をおもいっきり叩き壊すかもしれない 我慢の限界を越してしまったら 私は、 誰かを根にもつかもしれない 自殺するかもしれない 何をすればこの気持ちを抑えることが できるのか 自然に涙が出てくる 心がボロボロに崩れていく 今の自分を上から見ている それが未来の自分だ
頭が「限界」を超えて、火山のように爆発しそうで、何をしでかすか自分にもわからない。自殺するかもしれない。
自分で自分をコントロールできない。思春期の特性かもしれない。多少の差はあるにしても、作者に限らず中学生時代には経験するでしょう。
そういう自分と向き合いながら未来へ超えていくこと。
曇り空 北野 有梨佳 青空が好き 青い海に白いヨットをぽっかり浮かべて 優しく包み込んでくれる でも 何気ない青空が たまに嫌いになる 世の中の良いところだけを 集めている気がして そういう時 心の空は 曇り空 雨警報も出されている いつまでも照らし続ける太陽が 私をあざ笑う そんな私の味方になってくれる 曇り空 もやもやした感情が 一緒に重なって 押し出されていく たまに見せてくれる 空の裏の姿 それが 自分を取り繕わない 真の姿 素直で 真っすぐな 曇り空が好き
青空もいいけれど、曇り空も「心の空」として無視できない。
たいていの人は「青空」が好きと言うけれど、ときに「自分を取り繕わない」で、「裏」を見せてくれる「曇り空」が好きになる。
一般に人は「青空が好き」と言うけれど、中学三年生くらいになると「裏」が気になるし「曇り空」も気になって惹かれる。
入選
自由 石和 真紘 自由とはなんだろうか 自分がやりたいことをする 何をしてもいい それが自由なのか 自由とはなんだろうか 何もしていない 「ボー」っとしている それが自由なのか 本当の自由とはなんだろうか 人に左右されずに 自分の可能性を信じ 自分の気持ちに素直になり 前に進み続けることで 本当の自分になれる しかし本当の自分になれても 自由を知ることが出来るのか 自由とは何だろうか
「自由とはなんだろうか」というテーマをあれこれ考えている。
このテーマは、子どもでもおとなでも極めてむずかしいテーマで、簡単に「こうである」とは言えない。時間を要する。
初めての部活動 出田 瑞樹 最初に和太鼓を聞いたのは オープンスクールのときでした この部活に入部したいと思いました 中学校のときは部活をしていなかったので初めての部活動です 先輩方は優しく指導して下さいました 僕は先輩方に憧れました 自分も先輩方のようになりたくて 一生懸命に練習をしました 分からないところは 先輩方に教えてもらいました 皆と一つの曲を合わせて演奏するのが できませんでした 毎日少ない時間で練習を頑張りました 初めて人前で演奏したのは 一年生の体育祭でした 緊張したけれど先輩方と一緒に演奏して 叩けたのがうれしかったです 和太鼓は年間二十回くらい出演があります 保護者の方に車出しをしてもらい 出演ができます いつも緊張しますが とても良い経験になります 昨年は ジュニアコンクール九州大会に出場 今年の夏は 全国総合文化祭に出場しました 大きな大会に出場する事ができたのも 先輩や 太鼓を指導して下さる先生方 保護者の方のおかげだと思います 僕は部活動に入って 上下関係を学びました 上手くいかないこともありますが 部活動で経験したことを忘れずに これからも一生懸命頑張ろうと思います
和太鼓の部活に入って、練習で先輩たちに教えてもらった。やがて体育祭や他での出演が増え、コンクールに出たりする。
つらいこともあろうけれど、部活動でいろいろと学ぶ喜び。
聞こえた心のさけび 市村 華絵 私が飼っていた黒ねこ 名前はクロ そのまんま 墨汁をかけたような体に 宝石のように輝く瞳 そんなクロが 私は好きだった でももういない いつかは死んでしまう そんなことは分かっている でも 私は知っている クロが捨てねこだったことを 私は知っている 傷だらけで拾ったことを ニャンニャンニャン 捨てないでって聞こえる 一つしかない命 助けられるこの命 耳をかたむければ聞こえる 心のさけびが ふりしぼった鳴き声 わかるはず だって だって 一緒にすごしてきたから もう一度考えよう この小さな命 無駄な命など一つもない 捨てないでって 聞こえるよ
好きだった黒猫が死んだ。じつは捨て猫だった。その鳴き声は「心のさけび」だったとわかる。
そして「小さな命」にだって「無駄な命など一つもない」ということに思いいたる。
出合いと別れ 井銅 琴音 はらはらと落ちてゆく私の一部 春になれば満開に咲き私の出番がやってくる みんなから注目される 嬉しいような、恥かしいような でもほめられるから嬉しい気持ちが勝つかな だって「きれい。」って言われるから それから私が満開に咲くのを待ってる人がいるから でも注目されるのはやっぱり恥かしい それでもほめられたい きれいって言われてみんなを笑顔にしたい これが私の心情 そういえば、私が満開になる季節って出合いと別れが多いの 卒業式や入学式ってものがあるの その行事があるたびにいろんな人の笑顔や涙を見るの そして私も笑顔になったり涙をながすの その後に祝福するんだ 「おめでとう」って言いながら花びらを舞わせて そうしたらみんな笑顔になる 私も笑顔になって嬉しくなるの この行事以上にお花見ってあるんだ 私の近くに座って食事したり楽しんだり 笑いあったり、歌を歌ったり その光景を見て私も楽しくなるの でもその時間はあっという間 春が終わったら私の出番は終わり 花びらは全部散ってゆく みんなとお別れは寂しいな でも来年も会えるよね またきれいに咲くからほめてくれると嬉しいな そして笑顔にさせるよ それが私の仕事だからね
春に満開になって人を喜ばせる桜の花、その下で演じられる春の出合いと別れ。
「笑顔」と「涙」。でも、桜は注目される「恥ずかしさ」をも感じる点に注目。それらが桜の仕事。
いるか 伊藤 百花 いるかは、いいな。 いるかしょうにでられるから わたし、 いるかになりたい。 いるかしょうにでれたのいいな。 みんなにみてもらえるから じゃんぷをして みんなにはくしゅをしてもらいたいな。 ふらふうぷのわっかをくぐって みんなにはくしゅをしてもらいたいな。 みんながわらってくれるから うれしいな。
いるかが好きでショーを何回も見ているのでしょう。身をのり出して、一体になっているようです。
ショーに出られて「はくしゅ」をもらえるから、いるかになる。すてきな発想。
『2つのせかい』 今井 彩名 かいそうやさんご そのかずだけいるさかな。 いえやびる そのかずだけいるひと。 ひともさかなも おなじかもしれない。
広い海の中にたくさんの魚がいることは誰でも知っているけれど、海藻やサンゴの数だけ(たくさん)いる、というとらえ方こそ詩です。
人の数も「いえやびる」と対応、これが詩。
空の雲 今井 智香 部活後の下校中 おなかがすいて 空を見る アイスみたいな雲 わたあめみたいな雲 食パンみたいな雲 からあげみたいな雲 どれを最初に食べようか すごく まよう 空の雲 おなかがもっと すいてくる
部活の帰りはおなかがすいて、空の雲がいろんな食べ物に見えて困るのでしょう。
だから、どれから食べようかと「まよう」のでしょう。おなかがすいてくるという、健康な正直さ。
生きている 今井 陽彩 生きていると感じる時は 生きていてよかったと思う時 うれしい事があった時 わたしは思う 生きていてよかった そうだ わたしは生きている 生きていると感じる時は 死にたいと思う時 苦しい事があった時 わたしは思う 死にたい 苦しい だけど わたしは生きている 生きていると感じる時は 命を感じる時 命は一人に一つじゃない みんなの思いの数だけある ほら さがしてごらん そこらじゅうに ちらばっている
うれしいとき、苦しいときに、それぞれ「生きている」ことを、誰もがいつも以上に感じるのです。
しかも「みんなの思いの数だけある」というのが、作者の発見であり、その通り。
仮面 大塚 汐佳 いつでも笑っている 声をあげて笑っている 心の中はからっぽなのに ただただ笑っている 明るすぎる夜空を見て 星がきれいだと笑う 星の光は弱くて 今にも消えそうなのに いつでも笑っている 口を開け笑っている いかにも楽しそうに 何も考えず笑っている あの子はみんなといるのが好き そう言って笑う 本当は一人でいたいのに 人はだんだん正直ではなくなる でもきっとそれは 嘘じゃない 笑顔という仮面をつけ 自分を守っているだけ 弱い自分を見たくない だから 人はきっと笑うんだ いつでも笑っている 理由なんてないのに 今日も笑っている 仮面をつけて
ふつう本当の顔と仮面はちがっている。だから「仮面」という。本当の顔は泣いていても、仮面は笑っていたりする。
その逆もありうる。ウソとホント、単純ではない。仮面は複雑。
キャンバス 小野 葵陽 私の心はキャンバスで 感情は絵の具で 嬉しいときは花の色 悲しいときは雨の色 楽しいときは星の色 怒ったときは炎の色 ぬり方を忘れて 黒くなることもある 黒くなったら白にして そこに新しく色付けて 絵の具がなくなるときまで キャンバスを染めていく
心というキャンバスに、そのときどきの感情で色がぬられてゆく。
絵の具は多種多様あるにちがいないし、「ぬり方を忘れて」しまうこともある。どんな色のキャンバスになるのか。
変形雲 小野澤 圭祐 春、夏、秋、冬でふと、空を見上げると そこにはいつでも雲が居る わたあめの雲は恐竜に変わる クッキーの雲はドーナツに変わる 「おいしそうだなぁ」 今日も空を見上げると 「あ、あそこに羊の雲が居る」 「あ、あそこに馬の雲が居る」 雲たちは姿を変形しながら ゆらゆらとどこかに去っていく まるで旅をするように・・・
雲はさまざまな形をしている。見上げる人の感情や状態によって一定ではないし、形も変わる。
だから見飽きない。旅をしているような雲には、思わずうらやましさも感じるのだろう。
じぶんのきもち 小山 菜月 じぶんが わらってないだけで まわりのえがおが きえてゆく じゃあ どうすればいいんだろうと わたしは かんがえた あっ! じゃあ もっと おはなししたり わらったり じぶんで くふうしてみようと わたしは おもった にんげん って じぶんが わらわないと ひとも わらわないんだなぁ
顔の表情と気持ちのあり方はむずかしい。笑った表情がだいたい笑いを呼ぶ。
無理に表情をつくることは疑問だが、表情の工夫は大切だ。かなしい表情の前で笑えるものではない。
矢印 神戸 天飛 ↑ 真っすぐ(行き先を決める) ↓ もぐる(行動を変える) ← 左(方向を示す) → 北を向いたら東(方角が分かる) 矢印はシンプルで分かりやすい 誰が見ても同じ意味になる 国境を超える 言語を超える 価値観を超える 矢印は真っすぐ目的地を指す 矢の真っすぐ進む性質を受けついでいる 矢印は真面目だ だから信用できる でも矢印は好奇心が旺盛だ 色々な矢印になりたい カーブする矢印 Uターンする矢印 循環する丸い矢印 天気記号の細氷 難しい数学のベクトル 矢印は自分の選択肢を増やしていく 選択肢が増えれば自由は広がる 矢印は自由だ 自由は自分で選択すること 自由は選択したものに責任を持つこと ぼくがただのぼくでいるために ぼくは自由を選択する ぼくは自由に向かって矢印のように真っすぐ進む
日常生活の中で目にする矢印は多い。作者はさまざまなかたちの矢印に心を止めてみる。
矢印のもつ自由をうらやんでいる面も感じられる。矢印は自由な選択で進む。さて、きみは?
愛 杵渕 日南子 好きな人の好きなものは 私も好きになろうと思ったけど やっぱり私は私が一番で 私だけを愛してほしくて 私だけを見ててほしくて 私だけを大事にしてほしかった だから思ったの 好きな人の好きなものは 消えちゃえばいいんだって 好きな人の好きなものは 私の大嫌いなものでした
「好き」ということを、「好きな人」と「私」を比較的に取りあげ、正直に自分の心をのぞいている。「私だけを愛してほしくて」という気持ちに偽りはない。悩め、悩め!と言おう。
音と歌 斎藤 美幸 森のばん奏が聞こえるよ ザワザワ サラサラ ポタポタ ちよちよ 川もせん律かなでるよ ゆらゆら ザヴザヴ キラキラ ピチピチ 学校はリズムがたくさんながれるよ ガタガタ ワイワイ カツコツ スラスラ 町は楽しく歌いだすよ ニャニャ ワンワン これこれ どうもどうも 全部の音が合わさって あるときぴったり重なって 自然の歌ができたんだ 風の五線 鳥の音符 波の強弱記号もついている こうして歌ができていく こうして音もうまれてく みんなの笑顔花ひらく
森、川、学校、街などがいろいろな音を奏でている。
それらは風や動物や人や車の発する音である。
音によって世界をとらえることもできる。音や歌があふれ、人々の笑顔が増える。
あの日にもどりたいな 下村 侑詩 あの日にもどりたいな ほいくえんに行って昼ねをしたい戻りたい 音楽とひげたちのあの嬉しい気持ち戻りたい 夏休みプールに行って大はしゃぎ戻りたい 一りん車のれて嬉しいあの気持ちに戻りたい たん生日プレゼントもらった嬉しいあの気持ち戻りたい チーズハットグ食べれて嬉しいあの気持ち戻りたい いとこのおばあちゃんに買ってもらったミニーちゃんの人形買ったあの日の気持ち戻りたい 初めてディズニーランドに行ったあの日に戻りたい さいごに、先生と初めて会って初めて話したあの日にもどりたい
「戻りたい」が副詞ぬきで上につながるのは、文法的におかしいかも知れないが、詩作品としては許される。逆におもしろい効果を表している。素直にうれしかった過去に戻りたい。
ぼくの友達 白瀬 翼 名ぼ番号一番算数がとくい 名ぼ番号二番リーダーシップがある 名ぼ番号三番おとなしい 名ぼ番号四番字がきれい 名ぼ番号五番野球でかたが良い 名ぼ番号六番勉強ができる 名ぼ番号七番絵がうまい 名ぼ番号八番友達を大事にしている 名ぼ番号九番人の役に立てる 名ぼ番号十番走が速い 名ぼ番号十一番しゅう字がうまい 名ぼ番号十二番バスケがうまい ぼくのクラスは全部で十二人 いろいろな良い所をもっている 十二人みんな友達
クラスの友達みんなの特徴をよくとらえたね。友達それぞれはみんないいところをもっている。
誰もがスーパーマンである必要はない。それによりクラスがうまく構成されている。
雨 新道 葵 コロコロと 楽しそうに坂を下ってゆく雨 まるですべり台の上にいるみたい 軽やかに踊っている ザクザクと 私の体をスコップで掘っていくような雨 ちょっとご機嫌ななめ ピョンピョンと かえるが跳ぶように 私をつついてくる雨 楽しそう 何かいいことがあったのかな ドシドシと 大きな足音を立てているような雨 何か怒ってるの? ちょっと怖いなぁ ピタピタと 私の肌に吸いついてくる雨 どうしたの? まるで泣いているみたい 雨が降っているとき 人間は 傘をさすけれど 雨だって 一つの生き物 そう思ったら 朝から降り続いていた雨も いつの間にか止んでいて 晴れわたる空と キラキラ笑う水たまりが 世界を照らしていた
降っている雨からあがった雨など、雨の表情や状態をよく観察しています。
多様だけれども、親密感をもって、雨の降りかたをどこか楽しんでいるように思われる。素敵な雨です。
トマト 新町 優太 トマトくん、おはよう やっと、赤くなったね。 とっていくよ、おいしそうだなあ いっぱい、青いのがたくさんなってるね。 早く、赤くなるといいなあ ぼく、楽しみに、まってるよ トマトくん、おはよう きのう、とったトマト食べたよ 少し、すっぱかったけどね おいしかったよ 早く天気になると、赤くなるのにね。 青いトマトが、いっぱい、なってるのに ぼく楽しみにしてるのに。 早く天気に、なるといいな。 とまとくんおはよう やっと天気になったね。 家の中はあつくて、あつくて。 エアコンがストライキ―おこすんだよ とまとくん お水をあげるよ。 いっぱいかけるよ。 とまとくん、おはよう。 まい日、あついね。 赤くなってるぞ、三こも、なってる。 すごい、かわがかたいけど。 あまいよ、まだ 青いのが、なってるね。 とまとくんおはよう。 あつく、ないかい、お水をかけるよ。 きれいなオレンジ赤色、 ふしぎだなあ。 いつまでも、食べないで、かざっておきたいよ。 トマトくんありがとう。おいしかったよ。
青い実から赤い実になっていくトマトに、作者は友だちのように声をかけ話しかけたりしながら、成長に目を見はり、おいしく食べています。食べられるトマトだってうれしそう。
水たまり 高橋 愛実 通学路にある 水たまり ぼんやりと空を映している 水たまり 近づいて 自分の姿を映してみる やはり はっきりとは映してくれない ふと自分の将来のようだと思った ぼんやりしているから 未来を考えるのが 楽しいのかもしれない 未来への希望、不安、焦り、期待 複雑な感情を とびこえて 水たまりを とびこえた
空を映している水たまりに、自分の姿を写す。そういう好奇心は理解できるけど、写った姿に自分の将来を見ようとするなんてすごい! 最終連の最後の二行はすばらしい、うまい。
ある日の出来事 高橋 美帆 思い出の場所が また一つ消えた この前まで そこにあったはずの田んぼは もう 跡形もなく ただただ家が立ち並んでいるだけ 私の思い出の一ページが 色あせた 四つ葉のクローバー アメンボ 入道雲 とんぼ 夕焼け 雪 そして 稲の香り もう何もない またあの風景が 帰ってくることはないんだ そう思うと ひんやりした熱さが 胸の中を 渦巻いた どうしてこんな気持ちになるのか 自分でも分からない でも この気持はたぶん 悲しみ なんだろうな 今日のこの気持ちを 家を建てた人も 家に新しく住む人も 誰も まだ 誰も 知らない
田んぼが消えてそこに家が建った。そのように風景はいつのまにか変って行く。
「四つ葉のクローバー」から「稲の香り」までも消えてしまった。
最終連に作者の悲しみはある。
帰りたい場所 ─徳之島─ 田中 友真 暑い島 海がきれいな島 ハブ クロウサギ 珍しい動物がいる 自然豊かな島 みんなで作り上げる 地域の行事 島に響く 子ども達の笑い声 元気に畑を耕す 老いを感じさせない人たち 牛と牛とがぶつかり合い さとうきびが風に吹かれて そこにある 離れて三年 変わらない 見慣れた景色 見慣れた人たち 帰りたい 私の故郷(ふるさと)
島を離れて三年。海や動物たちをはじめ自然が豊かで、子どもも老人も元気なふるさとの島へ帰りたい。今の生活はそういうものから遠いのだろう。離れてわかるふるさとの良さ。
春のなつかしいおもいで 田中 正喜 春は、すずしいよね だから、とりとかも、いっぱいとんでるよね あとはね、まつりも楽しいよね だって、さくらとかがきれいだからだよ さくらのじゅうたんもきれいだよね だから春は楽しいしすずしいよね だから春は、まちどうしいよ そして、さくらのじゅうたんに ねそべってみたいなー だからはやく春になってほしいな
寒い青森では春が待ち遠しいでしょう。春は暖かいだけでなく、花鳥やまつりも楽しみだし、うれしい。「さくらのじゅうたん」は美しいだろうし、ねそべったら気持ちがいいね。
時間 遠山 綾菜 時間はゴムみたい 楽しい時は みじかくちぢむ いやな時は 長くのびる 楽しくあそんでいて 「もう帰る時間だよ」 と聞こえると 「パチーン」 と時間のゴムがちぢんだ おこられていると 時間のゴムは 「ビヨヨ、ヨーン」 みるみるのびる いやな時間ちぢめ ちぢめ 楽しい時間のびろ のびろ 心の中でそっとおねがいする
時間が「みじかくちぢむ」「長く伸びる」は作者だけでなく、みんなの実感でしょう。
楽しいときは「ちぢむ」し、いやなときには「ピヨヨ、ヨーン」とのびる。
そう、うまくいかない。
ぼくのきらいなこと 中西 悠樹 ぼくの苦手なことは宿題 二けたのわり算は、答えを出すのに時間がかかるから 分数の足し算、引き算は得意だけど 大人におこられることも苦手 心がモヤモヤザワザワするから でも、ほめられることはうれしい 食べ物できらいな物はすぶた すっぱい味が口いっぱいに広がるから でも、苦いピーマンはおいしくて好き 遊園地のジェットコースターはきらい 一回転すると、浮遊感があるから気持ち悪い でも、ゴーカートを運転するのは好き 姉とのケンカはきらい ぜったいに負けるから、ケンカは買わない でも、弟のケンカには勝てるから買う これが今のぼく 案外、きらいなことが少ない 好きなこと、楽しいことの方がいっぱいだな
「きらいなこと」と「好きなこと」は入り組んでいて、実際には複雑なもの。たとえば勝つケンカもあれば、負けるケンカもある。最後の二行は詩の題名を裏切っていて、愉快だ。
いなくなりかた 福山 胡桃 あるひ ぼくは ともだちに こんなことをいわれました 「お前なんか、居なくなればいい」と だから ぼくは「いなくなりかた」をかんがえました 「いなくなる」ってどういうこと? めのまえからきえたらいいの?そんざいをけせばいいの?そのこにきくのをわすれていました ききたかったきもするけど がっこうにいったら またいわれるので がっこうにいくのも やめました しばらくして ぼくはしにました たくさんかんがえた「いなくなりかた」から「しぬこと」をえらびました きょうはおそうしきのひ くらすのみんなと せんせいがきてくれました そのなかに あのこもいました みんな ないてるのに あのこだけは にこにこえがおでした はれたときの おひさまみたいなえがおでした 「死んでくれて ありがとう」 といっているようでした しんだら どこに いくんだろ あのこも つれて いこうかな
「居なくなればいい」と言われたのは本当のことかもしれないが、自分の死後のことまで書いているのだから、詩全体は想像によるフィクション。そういう詩を書いてみるのも可。
心のパレット 牧野 葵 心のパレットに 黄色の心と 青色の心を のせてみよう 心のパレットに あったかい心と つめたい心を のせてみよう ひとつひとつの パレットに ひとつひとつの あいまいな心を 解かしてつないだ 私の 心のパレットに
「黄色の心」というのは「あったかい心」で、「青色の心」は「つめたい心」のことでしょう。
「心のパレット」という言葉に感心しました。いろいろな色がパレットの上で出会う。
月の涙 丸山 あい 貴方はわらう キレイな顔に嘘の色を貼って 弧を描(えが)く口元と 息苦しそうな瞳が それを告げている 貴方はわらう キレイな顔に悲しみの色を残して 弧を描く目元と 上手く描けない口元 これほど滑稽なものはないとゆるんだ 貴方はわらう 綺麗な顔に幸せの色を写して 赤くなった頬をぶつけると 嬉しそうな雫が伝って ありがとうとゆるんだ
くり返される「貴方はわらう」の「貴方」は月のことでしょう。それぞれ月の表情を三様に描いています。自分の思いのたけに入り込んでいるためか、理解しにくい部分もある。
海 三本 拓人 海はぼくの心 波が激しくなると ぼくの心も激しい 海はぼくの家 いろいろな生き物を 迎えてくれる 海はぼくの道 いろいろな国へ 行くための道 海はぼくと生きている
「心」「家」「道」それぞれ、作者が海に読みこんだ「生き方」と解釈することができる。
もっと深入りした表現が全体にあれば、完璧だったでしょうが、第三連の発見は深遠だ。
ぼくのひみつ 宮下 音奏 お姉ちゃんに、にてる ママにも、にてる いっつも会う人に言われるぼくの顔 三人同じ顔がそろっている。 言われて、ぜんぜんうれしくない。 でもぼく、 ママに、にてるは、うれしいんだ。 ぼくとママは、おそろい。 三の数字も 五の数字も うさぎさんだっていっしょ。 なんのことだと思う? 三月五日 ぼくの生まれた たんじょう日 ママも生まれた たんじょう日 ぼくとママは、生まれた日が同じ。 うさぎさんは、うさぎ年 十二のえとのうさぎ年。 ぼくのえとは、うさぎ ちょこまかするぼく、ねずみに、にてるって良くいわれるけれど、ぼくは、うさぎ。 うさぎ年はママと同じ。 それでね、ぼくってすごいんだ。 みんなびっくりするほどヒミツ。 なかなか、いないぼくのじまん。 たんじょう日も、えともいっしょも なかなかのじまんだけれど、 ぼくはね、ぼくはね、ママと生まれてきた時間までいっしょなんだって。 ここまで同じなかなかいない。 はずかしいけど、ママと同じ。 こんな子、なかなかいないでしょ。 ぼくは、きっとむいしきに ママと同じ日えらんで生まれてきたのかも。 「うんめいだね」 と人は言う うんめいって何だか分からないけど ママとにてることがいっぱいある ぼくは、きっとうんめいの子。
「たんじょう日」も「えと」もママと同じ。生まれたじかんまで同じというのはめずらしいことです。うれしいきもちが作品をおおっています。将来はママに負けない人生を!
本を開く 宮島 芽生 本を開けば知らない世界が始まる それは知らない世界のとびらを開けたように 知らないぼうけんをするように 本を開けば知らないぼうけんが始まる それは知らないことを発見するように 知らないことが自分のものになるように 本を開けば知らないことが自分のものになる それは知らない一部がうまるように 知らないことも知っていたように 本を開く一つのことで 知ることができるいくつものことを 不思議なようで まほうのようで だけれどもいつもそばにある
本を開くと、私たちは未知の広い世界につれて行かれます。それは誰もが知っていることだし、作者もよく知っていることなのでしょう。それは「まほう」と呼んでもいいくらい。
さんたさん 森 将聖 さんたさんは、いいな。 えいえんにしなないから。 ぼく さんたさんになりたい。 さんたさんになったら みんなに ぷれぜんとをくばりたい。 そして ちきゅうのせかいをみてみたい プレゼントは、 ねてるこしか、あげないよ。
小一なら誰しも、サンタさんにあこがれるでしょう。
サンタさんになってプレゼントをくばりたいだけではなく、「ちきゅうのせかい」を見てみたい、というユメは大きいなあ。
日焼け 山田 大翔 海で日焼けをした 背中が かゆい かゆい 手をおもいっきり 背中にまわしてみる でも そこじゃないんだ あー、手が届かない かゆいよー お母さーん!! 背中かいてよー!! あー そこそこ 右ー あー もう少し左ー もう少し上ー 下ー あーそこそこ あー気持ちがいい お母さんがいないとき ものさしを背中につっこんでみた あー気持ちがいいー でもやっぱりお母さんの手が 一番気持ちいい
日焼けして背中がかゆい。ところが手が届かない。そのかゆい実感がこまかくリアルに書かれている。「そこそこ」と言ったり「もう少し上ー」と叫んでも、母の手が一番なんだ。
見て 山宮 叶子 見て 花火だよ きれいだよ 両手をくっつけて 花にして 教えてくれた 見て 海だよ 広いよ 両手を広げて いっぱい広げて 教えてくれた 見て 星だよ きらきらしてるよ 両手をひらひらさせて たくさんあるって 教えてくれた たくさん たくさん 教えてもらって 見えないものが 見える気がした 私もいつか 誰かに何かを 教えたい
花火や海や星を、両手で表現して「見て」「見て」と教えてもらった、すてきな経験。
だから「見えないもの」が見える気がした。で「私もいつか」と。作者は盲学校の生徒さん。
第26回矢沢宰賞の審査を終えて
昨年は私が入院中のため、「生命の詩の集い」に出席できず非常に残念でした。その後も、前向きにリハビリをつづけておりますが、出かけるとなると周囲の人たちのサポートが、今でも必要です。ご迷惑をお許しください。
事務局から、ダンボール箱で拙宅にお送りいただいた、今年の900編近い応募詩の山は格別うれしいものでした。一年ぶりの感激でした。昨年も入院前に選考はすませていたのですが、今年もうれしい悲鳴をあげながら、全国から寄せられた一編一編をていねいに選考させていただきました。
例年のように、一人一人の個性に接するこの時間は、私の至福のときなのです。学校のクラス単位でたくさんまとめてご応募いただいた作品、個人的に応募された作品など多様です。
昨年のこの欄で、「応募された人たちが学校でどんなふうに勉強をし、部活などでどんなにがんばっているのか、私にはわかりません。友だちとの時間をどう過ごしているのか、家で毎日何をしているのか、私にはまったくわかりません。」と書きましたが、今回も同じことが言えます。
だからこそ、私はワクワク、ドキドキしてスリリングな気持ちを抑えがたいわけです。
作品とは集中的に向きあっていますから、余計なことを考える余裕はありません。学校や都道府県などにこだわりません。ただ今回気づいたことがあります。
それは「春=さくら、夏=花火、秋=紅葉、冬=雪」といった、決まりきった観念的な発想が目立ったこと。「晴、曇、雨(雪)」なども同様です。詩を書くときには、観念的発想は避けて、自分が感受した通り正直に書きましょう。
入選以上を40編にしぼり、「入選作」の配列順は前回同様、姓名の50音順としました。今年こそ、「生命の詩の集い」の会場でみなさんにお会いして、対話できることを楽しみにしております。元気に参加してください。
- 審査員 八木 忠栄
1941年見附市生まれ。日大芸術学部卒。
「現代詩手帳」編集長、銀座セゾン劇場総支配人を歴任。
現在、個人誌「いちばん寒い場所」主宰。日本現代詩人会理事。青山女子短大講師。
詩集「きんにくの唄」「八木忠栄詩集」「雲の縁側」(現代詩花椿賞)他多数、エッセイ集「詩人漂流ノート」「落語新時代」他、句集「雪やまず」「身体論」(吟遊俳句賞)。
年ごとの入賞作品のご紹介
回 | 最優秀賞受賞者 | タイトル |
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第1回(平成6年) | 山本 妙 | 本当のこと |
第2回(平成7年) | 山本 妙 | 災害 |
第3回(平成8年) | 高橋 美智子 | 小さな翼をこの空へ |
第4回(平成9年) | 野尻 由依 | 大すきなふくばあ |
第5回(平成10年) | 佐藤 夏希 | お日さまの一日 |
第6回(平成11年) | 除村美智代 | 大きなもの |
第7回(平成12年) | 徳田 健 | ありがとう |
第8回(平成13年) | 井上 朝子 | おくりもの |
第9回(平成14年) | 藪田 みゆき | 今日は一生に一回だけ |
第10回(平成15年) | 日沖 七瀬 | 韓国地下鉄放火事件の悲劇 |
第11回(平成16年) | 佐藤 ななせ | 抱きしめる |
第12回(平成17年) | 髙島 健祐 | えんぴつとけしゴム |
第13回(平成18年) | 濱野 沙苗 | 机の中に |
第14回(平成19年) | 田村 美咲 | おーい!たいようくーん |
第15回(平成20年) | 高橋 菜美 | 空唄 |
第16回(平成21年) | 今津 翼 | 冬景色 |
第17回(平成22年) | 西田 麻里 | 命に感謝 |
第18回(平成23年) | 山谷 圭祐 | 木 |
第19回(平成24年) | 坂井 真唯 | クレヨン |
第20回(平成25年) | 宮嶋和佳奈 | 広い海 |
第21回(平成26年) | 金田一 晴華 | 心樹 |
第22回(平成27年) | 安藤 絵美 | 拝啓 お母さん |
第23回(平成28年) | 宮下 月希 | 大好きな音 |
第24回(平成29年) | 宮下 月希 | 心のトビラ |
第25回(平成30年) | 阿部 圭佑 | ものさし |
第26回(令和元年) | 上田 士稀 | 何かのかけら |
第27回(令和2年) | 宮下 音奏 | 大好きな声 |
第28回(令和3年) | 横田 惇平 | ふくきたる夏休み |
第29回(令和4年) | 野田 惺 | やっと言えた |
第30回(令和5年) | 舘野 絢香 | 気持ちをカタチに 思いを届ける |