矢沢宰 21歳の詩と日記

21歳(1965年5月7日~1966年3月11日)当時の日記

5月7日(金)晴

21歳の誕生日であった。

5月26日(水)小雨

感傷的な日だ。さびしい日だ。
救いのない孤独感!はけぐちのない怒り!
小雨と共に私は泣きたい。
また組織の様なものが2つ出た。
吉住先生に見てもらった。
培養と組織検査をすることになった。
先生は私の顔を見ながら「7月からの学校はむずかしくなったな。」といわれた。
しかし、私にだって、すべてを犠牲にしても生きることに力を注ぐ決意がないでもない。
そのことについて一日考えた。

6月1日(火)曇

早、6月!入院して3か月である。
きょうもまた鈍痛と血尿である。
学校へ行くまでにあと1か月もないというのに、これではまったくどうなるのだ。
それよりも、こうなると命までがいよいよ先行き不安になる。
気分までが弱気になって困る。悪い予感。
このまま全てずるずると何の準備も、何の形も残さずに終わるのではないか
そんな予感がしきりにする。しっかりせよ

6月23日(月)晴

私は恋をしている
しかも真剣な真実なのっぴきならぬ気持ちで
日記しなかったが、私は命と恋についてどれほどなやんだことだろう。
毎日心と話していた。
これで体も心までも危機を招いた。
しかし、私はこの頃、そのためにむしろ勇気を得た。
まるっきり絶望が襲ってこないわけがない。
しかし、あの自殺の観念は押さえることはできた。
押さえる自信がある。私は恋をしている。私は求めている。
人生を、死ぬ前に私はその一端なりとも知りたいのだ。
結局私は不満なのだ。あきらめ切れないのだ。
人生の可能性を、真実を。
私は夢見ているのだ

8月15日(火)晴

『幸せになりたい?』とあなたは聞くんだね。
私は幸せになりたい。
『2人は幸せになれるの?』とまた聞くんだね。
何と恐ろしい言葉だ。
いやな問いだ。
そういわれると、私にはあなたを幸せになぞする力が、どこにあろう。
私の後について来れば、幸せにはなれないだろう。
未来ある、もっと輝かしい人生があなたの前途には待っているだろう。
だから最初から、その事についてあなたの決心を聞きたかったのだ。
しかし、私は幸せになろうと努力する力は持っている。
あなたよ、これだけは言える。
あなたが、ありのままの私を認識して、いつまでも私を愛してくれたなら、私達2人が幸福になるために、私はその努力を惜しまない。
いやどんな困難にもぶつかって、戦うだろうと。
しかし、また恋人よ、その結果を恐れてはならないと警告しておく。

9月23日(木)晴

不眠、悲嘆、混乱。
ああ、休息が欲しい。
苦しい。くるしい。わかってくれ。
どうにかしてくれたすけてくれ。
昨日は町を歩いた。

10月22日(金)曇

こざかしい態度はやめるべきだ。
素直になるのは自分に忠実であるということだけではない。
向上のない素直さや忠実は捨てるべきだ。
いじけた魂を持って、自分の要求なり希望がかなうものか。
たとえばそれがやむにやまれぬ心の吐け口の結果だとしても、みにくく、世に受け入れられぬものであれば、そしてまた自分があわれである。
たとえば彼女に対するわたしの気持ち、立場にしても、こざかしい卑怯なものでなかった。
これは自分の悲しみをなぐさめるために言うのではない。
自分では素直に、真実であると思っていたものが、はたして彼女の目にこせこせとした卑屈な姿としてうつらなかっただろうか。あの夜「あんまり素直だから」と彼女は言った。
しかし、彼女には私にはっきり言わなかった、いらだたしさがあった。
それは彼女のはたで知った、私のそうゆう態度ではなかったか。美しい行為、潔白な態度、それが私のモットウでなかったか?淡々とした杉の香りのような、そして大陸の空気のような、明るい素直さをもってゆけないものだろうか。
もう、彼女は今月かぎりでいなくなる。
清々しい心と態度を彼女に示すことは、もう時間的にむずかしい。
しかし、私は彼女を愛しているならば、自分の良い所を少しでも知ってもらおうとするのは当然だ。
ただ、それが見栄になってはいけないが。
彼女をいじめてはいけない。彼女を憎んではいけない。
「強い人になって、明るい人になって」といった彼女を安心させてやれるような、つまりそれを彼女が直接知ることがなくとも、いつまでも愛しいものを愛しむ態度が欲しい。

10月25日(月)

私の目的は何であったか。
私の命の真の目的は何であったか。
生きることである。
満たされたものを求めて止まぬ、幸福を求めて止まぬ力である。その力を得るために21年間生きてきたのであり、それを一人で実行できるように教育されてきたのだ。
私の魂は求めてきた。
病気で人より範囲が狭いかもしれないが、私は一生懸命求めてきた。
自力で、真に独力で。
そして神の中に、人類を越えた絶対的な力の中に、無限の宇宙の中にそして、人の心の中に、女の愛の中に求めてきた。
力添えを、励ましを、救いを愛を私は求め続けてきた。
残ったのは何だ!いつも絶望だけだ!悲しいのだ。
言い知れぬ暗黒の中で、おそろしいのだ。
それから、いらいらしてくるのだ。
絶望感を私はどうすればいいのだ。
町がやたらむしゃらに歩いても、将棋をしても、魚つりのうきに目をこらしても、思いはどうしても彼女のことにかえるのだ。
最後の望みを彼女に託した。
それは結果的には見事に裏切られた。
そして、それでも私は彼女への望みを捨てきれないのだ。
彼女の魂と彼女の身体とも求めてやまないのだ。
しかし、それはもう日増しにかなわないものとなっていくのだ。25日、あと一週間もなくして、彼女はここから去る。
惜しいのだ。
体中に熱いものが満ちてくる。
許されぬ想いを抱いた男の慟哭は誰にもわからない。

1966年3月11日

矢沢宰 劇症肝炎(急性肝不全)により死去 享年21歳

21歳当時の詩

あの夜

誰もいない競馬場の夜も星がいっぱいだった
広い原っぱを歩いてあなたは、北海道もこんなでしょうね、といった。

北海道もきっと星が地平線のかなたまで続いているんだろうね。

私はどんなことがあっても忘れない。
あなたの告白
頷いた白い首すじ
あなたのほんとに星が映っていた瞳を。


小道がみえる・・・

小道がみえる
白い橋もみえる

みんな
思い出の風景だ

然し私がいない
私は何処へ行ったのだ?
そして私の愛は 

(以下絶筆)


矢沢宰 21歳の詩と日記 おわり

年齢ごとの詩と日記