矢沢宰 16歳の詩と日記

16歳(1960年5月7日~1961年5月6日)当時の日記

5月7日(土)曇

第十六回目の誕生日である。
ということは十六年間生きたことだぞ!多くの出来事があった。
そして少しずつではあるが進歩してきた。また、これまで生きられた事を、神様に深く感謝しなければいけない。
一日、今という時を感謝し、あとはすべて神様にお守りを願う。
そう精一杯生きて、後は神が知っているのだから、その結果がどうなろうと心配しなくともよいのだ。私も一生懸命がんばろう。
書いたり口で言うことは出来るが、実行がうまくいっていないから。

6月1日(水)曇

「きけわだつみのこえ」という本を読んだ。人間は死に向かって生きていくことは確かだが、彼らのように死に直面している人間は、私達、重病患者に通じるところがあるように思われる。

6月5日(日)晴

実に二年何か月ぶりでこの俺の足で二十メートルぐらい歩いた。
午後床屋に行って来た帰りに少し歩いたのである。
窓の外の草がやっと緑を増して来たと思っていたら、今日みんな刈りとられてしまった。
まったく残念でたまらない。この草なんか、悪いことをしてしないから、刈り取られなくともよさそうなものだが・・・。大憤慨である。

7月8日(金)雨

昨日父が持ってきた級友の写真を見ているとつきる事がない。
時間がもったいないからと思い、やっと棚の中にしまう。
昨夜は良い月だった。きっと満月だったろう。
人間の定価と言うものは何で決まるのか。誰が決めるのか。
この問題は俺はまったく手がつけられない。俺は知りたい。
しかし俺はなぜ知りたいのだろう。

7月28日(木)晴

何も考えまいと、つとめればつとめるほど胸がはりさけそうだ。
放心しようと入道雲を見るほど、俺はまったく苦しい。
なぜこんなに考えなくてはならないのか。何がこんなに考えさせるのか。
俺はもういやだ。すべてがいやだ。病気になったためにこんなにも考えるのか。
そうでもない。とにかくもうやんなっちゃうんだな・・・。

8月14日(日)曇

俺は恐ろしい男だ!俺は悪い夢を見ているんだ。
詩を書くのも、今こうやって日記を書いているのも!
俺は本当をいえば、こうやって生きていて、誰かに認められることを願い、賞賛され、名を讃えられることを漠然とした祈りを持っているのだ!
これは正しく清くないことだ。
確かだ!いったいに俺は何の点においても、甘い考えを持ちながらまったくの楽天家であればいいのに、ひきょうなくさった、いやらしい考えを持ち、これはいかんことだ!
と、いったん決めた場合でも、それからいつまでたっても抜け切れないことだ!
だから全ての点で不安だ。毎日毎日ゆれている。
俺を分解すれば何一つとしてまとまったものはない。
こんな俺ががんばります、ああ!なんていって生きていく資格があるのだろうか。
生まれなければよかったと言えば現実は現実だ!
というし・・・。何でこんな人間ができたんだろうか?・・・。
何も思わないで生きていきたい。
バカになって生きていきたい。

9月24日(土)曇

祖父が俺の学生服姿を写真に撮りたいので、服を作ってやるとさ。
俺も久しく着たことのない学生服だから、欲しくないこともないが、金を使ってねー、どうせいつも着る訳じゃないのに、考えもんだな。
祖父はこんな俺のことが ”かわいい” のだろうかねー。
これも考えもんだ。感謝するよ!ね、そうだ!こんな俺さ!

9月26日(月)晴

騒がしい一日が終わろうとしています。
昨日は日記を書いてから、あまりにもうるさいので、窓の下に行って星空を見ていました。
息をはくと白くなります。もう息が白くなり始めたのです。
と共に自然の空気よりも僕の息が温かいのだ。僕からはき出すものが。
とそして何か安心感を持って部屋に帰って来ました。
体内からでるそれが温かい。それは僕が生きている証である。
また僕が少しは温かいのだ。また、多少なりとも愛が僕にあるのかも知れない。

11月2日(水)曇

イチョウが本当に黄色になった。
ああ! 菊の花が、白いカーテンをバックに大変美しい。

12月1日(木)強風-曇

今俺は何をしたってつまらない。詩を読んだって、つまらない。
ああ、つまらない。つまらないということはなぜ起こったか?
それは、宗教はやっぱり一種の気休めでしかないと言われた時からだ。

1961年1月11日(水)雪

僕の頭の中にはいったい何が詰まっているのだろう。
何の重たさもない。吹けば飛んでしまうようなものが、すみっこにちょこちょこと固まってあるのだろうか。
正しいことにつけ、悪いことにつけ、自信とか信念とかそうゆう個々的なものでなく、僕という生物の魂は、もっと重量感のある生の営みをやらなくてはならない。
この前、ラジオ新潟の詩の選者も言っていた。
僕の詩には重さというものがたりない・・・と。
本当にその通りなんだ。フワフワした根というものがない生き方なのだ。
きっとそれが詩にも個性として現れているのだろうか。

2月25日(土)絶晴

とうとう今日は白い雲を一回も見なかった。もう朝から晴れて本当に気持ちがよかった。
天気がいいということは、こんなにも人間、僕に明るいもの、楽しいものを与えるものかといまさらながら感心した。

4月1日(土)晴

僕は本当に、明日の命が知れない体かもしれない。
しかし、今までの僕のように、だからといって死の前で倒れてしまっていては、それは全く、死ぬ前に死人になったようなものだ。

4月21日(金)快晴

死を考えることによって生を有意義なものにする。
これはこれから大いに考えるべきだ。

16歳当時の詩

武器

僕は天才少年ではないから
僕の持っているものだけを
ぼくにあうように
つまみだせばいいのさ

するとそこに小さな真実が生まれる
その小さな真実を
恥ずかしがることはないのだよ

その小さな真実を
どっこいしょ!
と背負って
旅をすればいいのさ


あなたの手は

あなたの手は
握りしめるとあたたかくなる手だ

あなたの手は
あたためるとひよこが生まれる手だ


詩の散歩

コロコロと
桃色の玉や
紫の玉や
緑の玉やを
上手に使いわけ

詩が朝の散歩に
行きました


矢沢宰 16歳の詩と日記 おわり

年齢ごとの詩と日記