15歳(1959年5月7日~1960年5月6日)当時の日記
5月7日(水)
我、今日15歳の日を迎えた。本当に15年間生きたから、喜びとしなければいけない。
親にも今まで苦労心配をかけたが・・・。
5月19日(火)
昨日父が来たので今買っている新聞を弟の入学の時の学費にあてないかで、オッケー。
せめてカバンくらい買ってやりたい。
6月17日(水)
今日私は先生から本を借り、口語体の俳句があることをしり、今までの句より表現の仕方が素直であり、全然気に入った。
今後これを作る。
9月2日(水)
武者小路の本が読みたい。あの人の詩は、私の詩に似たところがある。
(その反対か?)とにかく話がわかる様に思う・・・。
9月6日(日)
父とこの頃、解け合うというか、親しみが感じられた様に思う。
今まではどうも自分としては ’きつい感じ’ であった。
9月14日(月)
ソ連の月ロケット成功。一日本を読む。
早く起きて学校などへ行きたい。
9月26日(土)
私はこれで終わりたくないのだ。
私がはっきり神を信じ切っていたら、神に対してのつぐないをはたすために生きるのだと言うか?またそれが正しいかもしれない。
だが、今の私には良くわからない。。
10月21日(土)
15、6歳になると自分の生きる道、自分の今の状態など考え出すとある本で読んだ。
私の場合はどうだ!・・・
10月28日(水)
中原中也の詩は、私の思うこと考えることが生きたままに書いてある。
すばらしい。人間は一度は死ぬのだ。なぜその間苦しんで生きているのだ。
私の場合そう先も長くないのに・・・。
まあまあ、わかった、わかった。
淋しいなあ。
10月30日(金)
なぜみんなと同じ健全なる青春を過ごされないのだ。
これが自分の人生、運命と言いながら、どうしてこんなに苦しまなければいけないのだ。
いいさ、いいさ今日また生きたんだ。
明日また生きよう。
11月6日(金)
あそこに太陽がある。ところがあそこには行けない。
だが太陽があるので生きている。
これに似た所があるのだ・・・。
11月7日(土)
私を少しでも喜ばせようと、家の出来事を話、自分も大声を出して笑う母。
「お前が帰ってきたら」、「お前が帰ってきたら」と、来るたびに自分の夢を話してくれる母・・・。ありがたいことだ。
しかし、私はなぜ母のために生きなければいけないのだ?
たしかに親だ。だが私ではないのだ。
母の体は心配ないそうだ。大事にならなければよいが・・・。
月が美しい、今日の夜は・・・。
人間は誰もいつも孤独・・・。
11月9日(月)
私はこの頃よく、来年は何をしようなどと言うようになった。
生きたいからだ!夢があるからだ!
‘無’ 自分の力でせっせと生きていく方法はないものか。
ベッド生活でもっと楽しくする事は出来ぬものか。
この性格から当分ぬける事はない(一生抜けないかもしれん)。
だからここを自分の住家としてよりより生活を。
1960年1月9日(土) 曇り
金魚が死んだ!出目金が死んだ。
水が悪くなっていたのをかまわなくて置いたら・・・死んだのだ。
かわいそうなことをした。
早く水を変えてやればよかった。
3月21日(月) 雨
去年の今日、貴方は山桜を私にくれた。私はよく覚えている。
その時の喜びを、確か私が書いた猫やなぎの絵を貴方にやったので、そのお礼に私に送ってくれたのだと思っている。それから一年。
この二年間に、貴方は数えるほどしか私の所へは来てくれなかった。
今はまた、一昨年の時のようにこの病棟へ働きに来ている。
また今日は卒業式であった。
これについて私は何も言うまい。
3月27日(日) 雨
私が入院してから今日で丁度二年目である。
ほかから見たら長く思えるだろうが、本人である私からすれば短いように思えてならない。
この二年間の間何もしないで過ぎたようだ。
何も変化がなかったように思える。
しかし、実の所は自分でいうのもなんだが、この二年の間に大変なる進歩をしたように思える。
すいせんが大きく開いた!
4月2日(土) 晴れ
思春期のこの不満?エネルギーを、オートバイに乗ることによって、
強烈な音楽を聞くことによって、山に登ること等、
思想運動やまた不良になって反抗する、またこれらのことについて静かに自殺していく・・・こんなことをテーマにしたラジオ放送があった。
私はどの中にも入っていない。
けれどもその反対に、このとにかく精一杯生きる!と言うこと、病を治す!
神に対する愛、神の子となることに情熱、エネルギーを燃やしていると自分でいうのもなんだが、言えるだろう。
しゃにむに生きるんだ。
15歳当時の詩
早春
すずめの声の変わったような
青い空がかすむような
ああ土のにおいがかぎたい
その春にほおずりしたい
何を求めていいのやら
きっとしまっているような
ああ土の上を転げまわりたい
淡い眠りの中の夢のような
生きなければいけないけれど
何だか死んでもいいような
去年の春 女がくれた山桜
まぶたの中に浮かぶような
春の夜の窓は開けて
電気はつけないことにしよう
窓は開けておくことにして
春の夜の清く甘ずっぱいような香りを
部屋の中いっぱいにしよう
そして俺は
静かに神様とお話をしよう
矢沢宰 15歳の詩と日記 おわり