18歳(19年5月7日~19年5月6日)当時の日記
5月7日(月)薄曇
18歳になりました。うれしくはありません。
悲しくて、くやしい気持ちでいっぱいです。
そして15歳の頃は、何にもまだわからないことが多かったけれど、くるしかったけれど、何だか今よりもよかった・・・ように思える。
自分の考え方、行ったこと、行いつつあることの幼稚さが悲しい。
そして、何一つとして、18年間生きたという実績がないのがくやしい。
しかし、感謝していいことはたくさんある。
まず生きられた、生きてきたということに対して、おどろきと、喜びと、大いなる感謝をしている。と共に、父母、家族のぼくに対する苦労を感謝する。
その他にも数えきれない程のものにも感謝する。
自然に、また神がいたとしたら深く神に・・・。
詩にもこの日記にも・・。
この誕生日に今まで四年間の個室生活から同じ病院内ではあるが、大部屋に出たということは大きな意義がある。
新しい出発をしたいと思う。心も、体も。
5月31日(木)晴
5月が今日で去っていく。ことしの5月をふりかえって、前のそれと比べてみる・・・。
去年が脱出の年だとすると、今年は一歩ふみだした年だといえるだろうか。
気ばかりあせって、いっこうに足は進まない。
6月11日(月)曇
ぐみが実った。花ビンにさしたが美しいものだ。
これもやっぱりふるさとの味だ。
田んぼの上にかぶさっている木に上がって食ったものだ・・・。
あのぐみもまっ赤になって、弟たちがたべていることだろう。
7月31日(火)
おそろしいような躍動である。(今屋根の上すれすれにまっ赤な大きな太陽がのぼりはじめた。これでおれはいいのだろうか。これが幸せというものだろうか、この心が。興奮してはいけない。退院じゃないのだから。泣いてぼくを待ち、そして死んでしまったじいさんに会いに行くのだ。3時間後にはふるさとの空気と風と熱と空と樹と土と山と父母とが待っているのだ。太陽がもうタンクの脚をのぼりおえた。ではこれから支度していってくる。
10月7日(火)快晴
クロッカスの球根をうえた。これは、ぼくの夢だ。
来春に花開くことをたくしたぼくの願いだ。
この花が開くころ、どうかぼくの人生もいっしょに開くように・・・と。
その時のことを思うと、ぼくはたまらない。きっと、きっと咲くように。
クロッカスのむらさきの花をだいて、ぼくはこの病院を去りたい。
ひと株は吉住先生にやろう。一株は学校に残して行こう。
もう一株は・・・、それは、その時になったら考えよう。
ぼくの夢、ぼくの願い。きっときっと咲くように。
12月1日(土)曇-雨
ああ最後の月になった。
今年もまた消えて行くときが近づいてきたのだ。ときが消える。
それはどうゆうことなんだ。死ねばもう無いと同じようにすべてが無になる。
結果や未来が残るとしても、その時が再び帰らないのだ。
ということを、死ぬことがいやと同じくらいの気持ちで、時をおしみ、大事に・・・。
12月9日(火)薄曇-雨
朝食後九時まで信濃川に行く。心が落ち着く美しさだった。
弥彦はみえず、どこまで平野がつづいているのかわからないような景色だった。
広い野のまんなかで見る雨雲というのは、屋根の間や窓から見るそれと全然違う。
雄大だ。かえりは雨にうたれて帰る。
1963年2月20日(水)みぞれ
受験番号は一番。合格していたら一番始めに名前がはり出されているだろう。
恐ろしい番号だ。
2月27日(水)雨
クロッカスのつぼみがまた大きくなった。
こんどの色は全部濃い紫色だ。あすの朝には開いているだろうか。
卒業式に答辞を読むことになった。
3月19日(火)
朝から夜まで感涙の一日だった。この日はもうきっと忘れることがないだろう。
朝の式の練習後、江川と二人で退院のあいさつがあったが、
私は「五年間・・・戦ってきました・・・」
といっただけであとは何も言えなかった。
3月20日(水)晴
感涙、また感涙。最後の見送りの時も、みんなにひと言あいさつをしようと思ったのだが、ついに出なかった。
吉住先生の手を握って「ありがとう」というのが、精一杯だった。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。みんな、みんな、ありがとう。神さま。
今こそ、今こそ神様といおう。神よ、感謝します!自然よ!人類万物よ!
この喜びの心、この歓迎をあたえてくれてありがとう!ありがとう!ありがとう!
私は「ありがとう」ということしか今はいえない!
3月27日(水)曇
3月27日、5年前のきょう、私は父にかつがれて入院したのだ。
それが5年後のきょうは退院して一週間目の我家のこたつの中だ。
私は感無量だ。
4月8日(月)雨
私はきょうから県立栃尾高等学校の生徒である。
4月16日(火)晴
”生命ある日に”を今読み終わった。
半分以上読んでいたんだが、それ以後を読むのが恐ろしく中断していたのだ。
ここにも人間として生きるために、自分を見つめ、自然を愛し、他人に感謝を捧げて戦った人がいた。
生きるためにBESTをつくして戦った人がいる。
なんで死んでしまったのだ!こんなにすばらしい人をなんで殺すんだ!どうして生きなかったのだ!その戦いがいかほどのものであるか、私の胸にビンビン響いてくる。
悔いなき戦いだったのなら、なぜ生きられなかったのだ。
こんなにがんばったのに!死んでしまった。残念で!残念で!残念だ。
私は最高に残念だ。
18歳当時の詩
再会
誰もいない
校庭をめぐって
松の木の下にきたら
秋がひっそりと立っていた
私は黙って手をのばし
秋も黙って手をのばし
まばたきもせずに見つめ合った
入学して
私の教室には
にごった川を渡り
ほこりだらけの道を横ぎり
若緑のやなぎをゆらした
春風がはいってくる。
身も心も
怖ろしいほど不安な私に
喜びとなぐさめを与えてくれるもの
春風と
若緑のしだれ柳。
私が一番うれしいこと
春風としだれ柳に会えたこと。
矢沢宰 18歳の詩と日記 おわり